カンボジアの内戦
カンボジアはポルポトが率いるクメール・ルージュが1975年に政権を握って以来、長い間民族紛争に苦しんできました。カンボジア全人口の4分の1ともいえる、100万から200万人の人がポルポト政権によって殺されました。なかでも、学者などの教育関係者や政治家、宗教指導者は特に標的にされ、拷問や強制労働、飢餓や病気のために多くの人が亡くなりました。そのため、カンボジアの生活基盤は社会的にも制度的にも崩壊してしまい、国家としてほとんど機能しなくなってしまいました。ポルポト政権は1979年に隣国のベトナム軍によって追放され、親ベトナム政権が建てられましたが、1991年にパリ和平協定が最終的に締結されるまで派閥間の争いはずっと続いていました。
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1992年から1993年にかけて、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)のもと、カンボジアは国際社会の協力を得ながら復興および平和構築に集中的に取り組んできました。その結果、治安維持、兵士の武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)、選挙実施や難民の帰還などにおいては成功を収めた一方、地雷除去や移行期正義、ガバナンス、教育の普及、貧困、少数民族間の格差等の問題に関しては、いまだ課題を抱えています。カンボジアは、紛争から復興期を経て着実に前進している一方、社会の安定化を確かなものにするために取り組むべき課題も存在しています。
参照:日本紛争予防センター (http://www.jccp.gr.jp/overseas/cambodia/info.html) |
カンボジアと日本のつながり
経済協力
文化関係
1994年よりユネスコ文化遺産保存日本信託基金により日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)を通じてアンコール遺跡の保存修復活動を実施中である。第1期及び第2期事業期間中、延べ700名を超える日本人専門家が現地に派遣され、約200名のカンボジア人スタッフと共同で保存修復活動に従事した。2005年より第3期事業を実施中(6か年計画)。
また、仏とともにアンコール遺跡救済国際調整委員会の共同議長国として関係国間の会合を毎年開催している。 参照:外務省(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/cambodia/kankei.html) |
もっとカンボジアを知る
映画
キリング・フィールド70年代、クメール・ルージュによる内乱渦巻くカンボジアを舞台に、アメリカ人記者と現地人助手の絆を力強く描く。ピューリッツァ賞を受賞したS・シャンバーグのノンフィクションが原作 。
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僕たちは世界を変えることができない。大学生活に満たされないものを感じていた甲太(向井理)は、偶然手にしたパンフレットで海外支援活動に興味を抱く。 カンボジアに学校を建てようと奮闘する大学生の挫折と成長の日々を綴る。
公式HP:http://www.boku-seka.com/ |
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